心霊スポット名

母子の墓
ははこのはか

住所

〒775-0411 徳島県海部郡海陽町平井76-1
とくしまけん かいふぐん かいようちょうひらい76-1

交通手段

弁岐線 阿波海南駅から車で26分 国道193号経由

地図

ルート

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スポット情報

恐怖度

知名度

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話題度

概要

お墓の心霊スポット

少女の幽霊が目撃されるなどの心霊現象が起きたため心霊スポットと呼ばれるようになった

この母子の墓は、その名の通り母と子の2基のお墓であるが、その墓が立てられた理由が残されている

命日になると、母子の霊が目撃されるといわれている

母子の墓が建てられた理由

探偵ファイルより参照)
江戸時代、天保のころ
お杉という女性がお玉という3歳になる娘を連れて県南西部に位置する木沢村から保瀬部落に嫁いできた

部落の権力者である矢八が人妻であるお杉に恋心を抱いてしまう
お杉は必死に抵抗し事なきを得たが、それに恨みを持った矢八が陰湿な計画たてる

その計画により母子は村の人々からいじめを受け、村八分にされやがて居所さえ無くなり、極限状態にまで追いつめられてしまう

娘のお玉を連れて海部川の河原に降り立ったお杉は、『我死後50年にして、必ず保瀬を壊滅させる。そして100年は人の住めぬ土地にしてやる。』と呪いの言葉を榎の木に刻む
50年という期間を挟んだのは、夫に災いが及ぶのを恐れたからである

一時間近くも祈り続け、おもむろに白装束を取り出してお玉に着替えさせた後、持って来ていた畦切り用の鍬を振り上げ、お玉の頭にめがけて勢い良く振り下ろした
ぱっくりと割れた頭からは脳味噌がとびだし、1メートル近く鮮血が吹き上げた
お玉の小さな体はヒクヒクと動いたきり動かなくなった

お杉はお玉の頭から吹き出した血を吸い、口いっぱいに含んで天に向かって吐き出しながら保瀬潰滅の為の呪文、即ち『保瀬は野となれ、山となれ。』と唱え続け、最後に一際大きく叫んで印を切った

お杉はお玉の遺体を抱いて頬ずりをし、『南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛』と念仏を唱えながら海部川の深淵へと身を投じた

これを知った村人達は母子の遺体を川底から引き上げ、保瀬に運ぼうとしたが遺体は重く、担ぎきれない
長老の1人が「この仏は保瀬には帰りたくないのであろう。樫谷に上げよう」と言うと、急に遺体は軽くなり、悲しき母子は樫谷の小高い丘の上に葬られたという

それからちょうど50年後、保瀬大崩壊の事故が発生し部落は一瞬にして消え去り徳島県史上、類を見ない程の大災害となった

保瀬大崩壊

(保瀬大崩壊の碑より) 1892年(明治25年)7月25日 午後2時00分
一大音響と共に海部川南岸の保瀬山の中腹が幅300メートル、長さ800メートルに渡り崩壊

北岸山麓にあった井上 幸太郎、井上 喜太郎、桜井 矢平の家族11名、投宿していた山稼人(出稼ぎの林業従事者)36名は家屋と共に生き埋めとなる

田畑四町歩(約400アール)も埋没し、ここに川上村保瀬(現・海部郡海南町平井字保勢)の部落は一瞬にして消え去り徳島県史上、類を見ない程の大災害となった



その後、新たに慰霊のために建てられたのが母子の墓となる

その場所の噂

川辺に立つ母と子の姿や2つの火の玉が目撃されている
墓を建てたがいまだに怨念が晴れることがなく、幽霊として現れるのではないかと言われている

お杉・お玉の命日には必ず母子の幽霊が保瀬の川辺に立ち、しばらくすると2つの火の玉となって山の中腹に向かってユラユラと消えて行くと言われている

この場所は100年を過ぎた今日でも人の住める状態ではないとのことで、地図からは消されているという情報があったが、ストリートビューで見ると民家があり一部情報が食い違っている模様

現れる幽霊の情報

  • 母と子の幽霊
  • 2つの火の玉
  • 少女の幽霊

の目撃情報がある

訪れたことのあるYouTuber

*敬称略

  • ああいつか―朱い塚-
  • キャベシ太郎

  ゆっくりシリーズで情報公開されている

現在どうなっているのか

母子の墓や保瀬大崩壊の碑は現存している

感想

人が亡くなったとき、あの世というものに行くことになると思います

あの世にいざ、行ったとき・・・特に心中などで一緒に命を落とすことになったとき一緒になれるのかというと、必ずしもそうではないかもしれないと個人的には思います
というのも、一緒に命を落とした相手の方を探し続ける霊などの目撃情報が結構あるからです

母子の墓の命日に目撃される2つの零体については、命を落としたもののあの世では母や子が、普段は一緒になれないというか存在の居場所がわからないのだけれど、この日だけはお互いの姿や存在を見ることができ一緒になれるのではないかと、思いました

織姫と彦星が1年に1度会える時のように・・・

あくまでも個人的な想像ですので実際のところはわかりません
ですけど、もしそうなのだとするとよかったというべきなのか、悲しい話だと思うべきなのか・・・

でもそうだとするならば、この場所に現れ続けるのかもしれないなとも感じました

それにしても、昔の話によく出てくる村のいじめや村八分・・・想像するに、悲しひどいものだったのではないかと思います

そうしたくてしたわけじゃない人もいるとは思いますが、結果として悲しい結末に結び付いた事実は残ります

この地で母子が心癒されて成仏されることを願うばかりです