あいりん労働公共職業安定所 引用:写真AC
あいりん労働公共職業安定所 引用写真AC

大阪に住んでいると、一度は「西成」という名前を聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。

私自身も以前から名前だけは知っていました。

インターネットやYouTubeでは「治安が悪い」「近づかない方がいい」といった話を目にすることもあります。

一方で、韓国語教室に通っていた頃には、韓国人の先生から「大阪には安い宿があるよ」と紹介されたこともありました。

同じ場所なのに、なぜここまで印象が違うのでしょうか。

気になって調べてみると、西成やあいりん地区には、単なる怖い街というイメージだけでは語れない歴史がありました。

あいりん地区とは

あいりん地区の様子 引用:写真AC
あいりん地区の様子 引用写真AC

あいりん地区とは、大阪市西成区北部の新今宮駅周辺に広がる地域の通称です。

この地域は「釜ヶ崎(かまがさき)」という名前でも知られています。

また、「ドヤ街」と呼ばれることもあります。

ドヤ街とは、日雇い労働者向けの簡易宿泊所が集まる地域のことです。

「ドヤ」という言葉は、「宿(やど)」を逆さに読んだ言葉だとされています。

なぜ労働者の街になったのか

労働者のイメージ画像 引用:写真AC
労働者のイメージ画像 引用写真AC

戦後の復興期から高度経済成長期にかけて、日本では大規模な建設事業が続いていました。

大阪万博の建設や都市開発もそのひとつです。

全国から多くの労働者が大阪へ集まり、その拠点となったのが釜ヶ崎でした。

当時の釜ヶ崎には多くの簡易宿泊所が立ち並び、日雇い労働者たちが生活していました。

現在の「あいりん地区」のイメージだけを見ると意外ですが、日本の高度経済成長を支えた労働者の街でもあったのです。

「怖い街」と呼ばれるようになった理由

商店街の様子 引用:写真AC
商店街の様子 引用写真AC

しかし、仕事は不安定なものも多く、労働環境や生活環境への不満が高まっていきます。

1960年代以降には暴動も発生し、全国的に報道されるようになりました。

こうした出来事によって、西成や釜ヶ崎には「治安が悪い街」というイメージが定着していったと考えられます。

実際に私も、西成という地名に対して少し身構えてしまう部分がありました。

物件を探していて「安いな」と思ったら西成区だったという経験もあり、周囲に話すと「西成はちょっとね」と言われたこともあります。

大阪に住んでいても、詳しく知らないままイメージだけが先行している場所なのかもしれません。

現在のあいりん地区

現在のあいりん地区は、かつての姿から少しずつ変化しています。

簡易宿泊所は外国人旅行者向けの宿として利用されることも増えました。

実際に、新今宮駅周辺には観光客向けのホテルも増えています。

OMO7大阪by星野リゾート 引用:写真AC
OMO7大阪by星野リゾート 引用写真AC

かつて日雇い労働者の街として知られた地域が、旅行者の宿泊地としても注目されるようになったのです。

また、あいりん地区について調べていると、「在日朝鮮人の街なのではないか」というイメージを持つ人もいることがわかりました。

確かに西成区やその周辺には在日コリアンの方々が暮らしてきた歴史があります。しかし、あいりん地区そのものが在日朝鮮人だけのコミュニティというわけではありません。

もともと釜ヶ崎には全国各地から集まった日雇い労働者が暮らしており、その中には在日コリアンの方々もいましたが、日本人も多く生活していました。現在もさまざまな背景を持つ人々が暮らしている地域です。

そのため、「日本ではないような場所」「日本人に敵意を持つ人が多い場所」といったイメージを裏付けるような情報は見当たりませんでした。むしろ、長い歴史の中で多様な人々が集まって形成された地域と考える方が実態に近いようです。

また、安い宿についても気になって調べてみました。現在の簡易宿泊所やビジネスホテルの多くは、外国人だけでなく日本人も普通に利用できます。もちろん宿によって設備や雰囲気には違いがありますが、観光や出張で利用する日本人もいます。

ホテルの室内のイメージ画像 引用:写真AC
ホテルの室内のイメージ画像 引用写真AC

私自身は、韓国人の先生から安い宿の話を聞いたとき、「男性だから利用しやすいのかな」と少し身構えてしまいました。しかし実際には、近年は改装された宿や女性向けの設備を整えた施設も増えており、以前のイメージとはかなり変わってきているようです。

私が韓国語教室で聞いた「大阪の安い宿」という話も、こうした背景とつながっていたのかもしれません。

地図

ストリートビュー

気になる方はストリートビューでも確認ができます。

おわりに

あいりん地区について調べる前は、「怖い場所」というイメージしか持っていませんでした。

ですが、その背景には戦後復興や高度経済成長を支えた労働者たちの歴史がありました。

もちろん独特な雰囲気があると言われる地域ではあります。

それでも、名前だけが一人歩きしている部分もあるように感じます。

「西成は怖い」

そんなイメージの背景には、どのような歴史があったのか。

そうした視点で見ると、また違った見え方ができる場所なのかもしれません。

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