
先日YouTubeを見ていると、「丑の刻参りは今も行われているのか」を調査する動画が目に留まりました。
と、いうのも動画内で明確にこの神社とは言っていないものの、先日訪れた貴船神社が舞台になっていたからです。
正確には、距離的な理由から行くことのできなかった奥宮周辺でしたが。
昼間に訪れた貴船神社は、川の音と豊かな緑に包まれた場所でした。
水みくじを楽しむ人や、御神木を見上げる参拝者の姿もあり、丑の刻参りという言葉から想像する風景とは大きく異なっていました。
動画に映っていたのは人の少ない深夜の貴船です。
他の場所でも藁人形を探したが見つからず、では丑の刻参り発祥の地といわれる場所を探してみることにしたという流れが展開されていました。
私は、その動画に目を奪われました。なぜなら、奥宮の参拝をあきらめて帰る時、奥宮の隅で藁人形を打ち付ける人がいたりしてと妄想していたからです。
さらに、比較的最近打ち付けられたと推測される藁人形が一体見つかり、ほかの場所に残された釘も映されていました。
丑の刻参り、藁人形、動画内で何度もすれ違ったと語られた人・・・どれも、妄想が膨らんでいきます。
同時に、そもそも丑の刻参りって?という疑問もわいてきます。
そこで、気になったことを調べてみたので紹介します。
そもそも丑の刻参りとは

丑の刻参りとは、深夜の丑の刻に神社へ参り、恨みを持つ相手を呪う行為として知られるものです。
丑の刻は、現在の時間では午前1時から午前3時ごろにあたります。その中でも特に深い時間帯が「丑三つ時」と呼ばれ、怪談や怪異が起こる時間として語られてきました。
現在よく知られているのは、白装束を身に着け、頭の鉄輪にろうそくを立てる姿です。そして、呪いたい相手に見立てた藁人形を、神社の木に五寸釘で打ち付けます。
ただし、時代や地域によって装いや道具、参拝する日数には違いがありました。
丑の刻参りはいつから行われていたのか
「丑の刻参り」という言葉は、もともと人を呪う行為だけを指すものではありませんでした。
古い時代には、丑の刻に神仏へ参り、願いをかける夜参りを指していたとする研究があります。
そこへ、貴船で鬼になることを願った橋姫の物語や、鉄輪を頭に載せた鬼女、身代わりとなる人形、呪いの釘といった要素が加わります。
現在知られる「白装束の女性が藁人形に五寸釘を打つ」という姿は、長い時間をかけて形作られたものでした。
なぜ貴船神社が丑の刻参りの発祥地といわれるのか

貴船神社は、水を司る高龗神を祀る神社です。全国にある水神を祀る神社の総本宮とされ、古くから雨乞いや水に関する信仰を集めてきました。
貴船神社が丑の刻参りの発祥地と呼ばれる背景には、宇治の橋姫にまつわる物語があります。
『平家物語』の「剣巻」などでは、夫に裏切られた女性が、恨む相手を殺すために鬼になりたいと願い、貴船神社へ参ります。
貴船の神からお告げを受けた女性は、髪を角のように結び、顔や体を赤く塗りました。さらに逆さにした鉄輪を頭に載せて火を灯し、松明を口にくわえたまま宇治川に身を浸します。
やがて鬼となった女性が、宇治の橋姫として語られるようになりました。
深夜に貴船へ通う女性、恨みから鬼へ変わる物語、頭の鉄輪に灯された火。この姿が後世に伝わり、現在知られる丑の刻参りのイメージと結びついていきました。
藁人形に五寸釘を打つ意味

藁人形は、呪いたい相手の身代わりです。相手の名前を書いた紙や、髪、爪などを人形に入れるという話もあります。
その人形に五寸釘を打ち、相手に苦痛や災いを与えようとするのが、丑の刻参りで知られる呪術です。
恨む相手を傷つける、恋敵を遠ざける、誰かと誰かを別れさせるといった願いが込められました。
丑の刻参りは貴船以外でも行われていたのか
丑の刻参りは、貴船神社だけに伝わるものではありません。
福島県には、望まない結婚や離婚を願って一定期間神社へ参る話があり、滋賀県には、白装束で氏神へ向かい、人形に五寸釘を打ち付ける伝承が残っています。
新潟県では、藁人形を神社の杉に打ち付けるほか、川へ流す、土に埋めるといった方法も語られていました。
このほか、神奈川県、徳島県、茨城県、群馬県などにも記録があり、服装や道具、参拝する日数は地域によって異なります。
丑の刻参りを人に見られるとどうなるのか
丑の刻参りには、人に見られると願いが破れるという話が各地に残っています。
見つかった後の結末は地域によって異なり、滋賀県では、目撃者を殺そうとする伝承が語られてきました。
一方、愛媛県には、途中で人に見つかると呪いが術者自身に返るという話が残されています。
動画で見つかった藁人形と複数の釘

ここで、記事を書くきっかけとなった動画に話を戻します。
貴船神社の奥宮周辺では、木に打ち付けられた藁人形が一体見つかりました。そのほかにも、数か所の木に釘が打ち込まれている様子が映っていました。
藁人形が比較的新しい一体だけだったことから、配信者は、古いものは発見後に撤去されているのではないかと考察していました。
それを聞いて、古い藁人形が残っていなかった理由に納得した気がしました。
一方、数か所に残された釘は、同じような行為が今回以前にも行われていたのではないかと想像させるものでした。
丑三つ時にすれ違ったという二人
動画の中で配信者は、50代から60代ほどの夫婦と思われる二人と、深夜の貴船で何度もすれ違ったと話していました。二人の姿は映像には残っていません。
ただ、時刻は丑三つ時です。
丑の刻参りや、見つかった藁人形と何か関係があったのではないか。そんな想像が膨らみました。
丑の刻参りと縁切り神社は同じものなのか
丑の刻参りについて考えているうちに、以前見た縁切り神社の動画を思い出しました。
そこでは、特定の人物との別れや人間関係の解消を願う、かなり直接的な内容の絵馬が紹介されていました。
京都には、安井金比羅宮のように、悪縁を切り良縁を結ぶ祈願で知られる神社があります。
悪縁には男女関係だけでなく、病気、酒、たばこ、賭け事など、自分を苦しめるものとの縁も含まれます。
一方、丑の刻参りは、相手に見立てた人形を傷つけ、災いを与えようとする呪いです。
どちらも「縁を切る」という点では重なりますが、悪縁から離れるための祈願と、相手を傷つけるための呪いでは目的が異なります。
丑の刻参りは現在も行われているのか

神社の木に藁人形を釘で打ち付ける行為は、現代にも残っています。
2022年、千葉県松戸市内の10か所以上の神社で、ロシアのプーチン大統領の顔写真や「抹殺祈願」と書かれた紙を付けた藁人形が、神木に打ち付けられる被害が相次ぎました。
そのうち三日月神社の神木に藁人形を打ち付けた疑いで、72歳の男性が逮捕されています。
事件が起きたのは昼間でしたが、藁人形と釘を使う行為が現代にも残っていることがわかる事例だと感じました。
終わりに

先日訪れた貴船神社の動画が目に留まり、調査を進めていく中で、現在知られる丑の刻参りの姿が時代の流れや各地の伝承と重なり作られたものであることや、貴船神社以外にも丑の刻参りに関する話が残っていることがわかりました。
貴船神社からの帰り道に「どこかに藁人形を打ち付ける人がいたりして」と想像していた私にとって、動画で発見された藁人形や複数の釘には興奮しました。
丑の刻参りや藁人形に関して調べたことで、知識が深まりまた次に貴船神社に参拝した時には違う視点で神社を見ることができそうな気がしました。
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